2009年06月26日

サブカルチャー文学論の感想(3)

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サブカルチャー文学論 (朝日文庫)
大塚 英志
朝日新聞社 2007-02

by G-Tools , 2009/05/20

若干のご無沙汰ながら、前回の続きです。
今回は「幻冬舎文学論」…しかしながら、
読んでいて比重が大きく置かれていると感じたのはサブタイトル、
(あるいは天に唾する小説のあったはずの可能性)
という括弧の部分で…これは、村上龍の小説のことです。

絵本等はまた別かと思うので小説の枠で振り返ると、
記憶にある最後に読んだ村上龍作品は「イン・ザ・ミソスープ」。
12年前の冬にハードカバーが出て、すぐ買ったのを覚えています。
いくつかの新聞や雑誌の書評欄においても、
やはり神戸の事件と絡めたりなどして評価されていました。

しかし実際読んでみると、何というか…申し訳ないけど、
するっと読み下してしまった、それほど引っかかるものがなかった。
「限りなく透明に近いブルー」のような極彩色の表現や、
「コインロッカー・ベイビーズ」のうねりを期待していたからか。
書評にあったような虚構と現実のシンクロニシティ、
いわれる以上のそれを、こちらが期待しすぎていたからか。

大塚氏原作の「多重人格探偵サイコ」を最初に読んだとき、
そのささくれだったストーリーの感触と、
田島昭宇氏のスタイリッシュな絵に大いに魅了されたけど、
ここでその大塚氏が村上龍の小説を批評しているのをみていて、
気がついたのは「限りなく〜」の頃の龍作品と、
「サイコ」を読んで至る感覚が凄く個人的には似たような、
危険さとか生々しさを目にした思いだったのが興味深いです。

漫画と小説の違いはあるにせよ、
自分にとっては「ミソスープ」より「サイコ」の方が、
リアルで怖い作品との印象がありました。

龍作品の色合いが明らかに変わったのは「五分後の世界」と、
著者は指摘していて…この作品から村上龍の作風は、
自身の小説の中に漫画の分野に極めて近いエッセンス、
あるいは「ガンダム」以降のアニメが向かったものと共通する、
「シリーズとして継承可能な、細部まで作り込んだ物語設定」
を盛り込みストーリーを配置する…という手法に辿り着いた。

発売時に読んで受けた衝撃が残っているせいもありますが、
旬を過ぎるとすぐに耐用年数を迎えてしまう話が多いにしても、
読んでいる間、読者の意識に浸食するような混沌とした文体とか、
読み終えた後もすぐには消えそうもないシーンの応酬など、
まるで牛乳のぬるぬるが喉に溜まったような独特の濃い余韻が、
その時点の作品までには確かにあったような気がします。

いわれてみれば、例えとして適切かはわからないですが、
「五分後の世界」辺りから小説の持つ雰囲気が、
「非デュオニュソス的」になったというか…。

相変わらず筋立ては過激で、サブカル的モチーフもあるのだが、
それは読者のいる世界とは隔てられた場所の話として消化でき、
こちらの領域へ影響が及ぶまでには存在してこないだろう、
という安心感の中で小説を読んでいるところがある。

(あるいは天に唾する小説のあったはずの可能性)とは、
極めてマッチョな、「ものともせず」書かれていた本こそが、
江藤淳の強烈な批判などはあっても客観的に捉えた場合、
それは、サブカルチャー文学として価値ある方向性だった…
と解釈しました。

この章では映画「ラブ・アンド・ポップ」の監督でもある、
庵野秀明の「エヴァンゲリオン」の話題にも何度か触れていて、
大塚氏はこんな風に書いている。
神戸の少年の犯行メモからうかがえる十四歳という年齢への拘泥や自意識のあり方を問題とした時、事件と小説は全くと言っていいほど拮抗していない。少なくとも事件が公になる以前に発表された庵野秀明の『エヴァンゲリオン』の主人公の方がはるかに神戸の少年の内面に「拮抗」している。(237p)
ネットの一部でいうところの「中二病」を描くことに、
「エヴァンゲリオン」が成功しているのかも…と感じたのは、
'97年の夏に放送されたTBSのニュース内のドキュメンタリーでの、
街行くギャル風の女子高生にエヴァを観てもらい、
その感想を聞くといった内容の特集コーナーでのことでした。

そこでは当初アニメそのものに対して否定的であった彼女らが、
観賞後「キャラクターの気持ちに共感して、色々なことを考えた」
と神妙な面持ちでコメントするというシーンで締め括られる、
という、TBSにしては珍しくというか…ある意味では、
オタク文化に対して肯定的な捉え方がされていたのを覚えてます。

僕自身はオタクについては以前よりは多少慣れたにしろ、
その自身の知識・解釈を当然のもの、絶対のものとして、
そこに悪意はなくとも平然と他者に強いるような、
敢えてきつくいえば視野狭窄で傲慢な部分に辟易した面もあり、
今でも抵抗はありますが…それでも一昔前から感じるのは、
漫画・アニメ・ゲームの分野においての「文学性」の方が、
今や本来小説が持っていたそのフィールドよりも競争が激しくて、
説得力のある作品が世に出る確率が高い、ということです。

でも、やっぱり小説はいつまでもあって欲しい。
ずっと読み続けたい。
この章を読んで最後にそう思いました。
posted by garni at 01:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 差異 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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