2009年06月28日

「愛を読むひと」を観た

愛を読むひと : ケイト・ウィンスレット インタビュー
「私が強く意識したのは、キャラクターをジャッジしないで演じるということ。彼女が善い人であるとか、悪い人であるとかジャッジしないで、1人の人間としてその全体を描写しなければいけないと思ったの。彼女は愛の偉大さを知っているし、人を思いやる気持もある。心に暖かみを持つことができる女性として表現したかった。そして、彼女の傷つきやすさ、屈辱感、勇気も表したかった。特に、判決を受け入れるシーンでそれを表現したいと思ったわ」
ここ最近はPTTE act IIで映画の感想を書いていましたが、
今回からはこちらに移動してみようと思います。

不勉強にして原作を読んでいないので、
あくまで映画のみについての感想になりますが。。

原作はベストセラー小説の「朗読者」。
舞台がドイツなので主人公の名前はミヒャエルですが、
映画では英語読みのマイケルになっています。

注:以下はネタバレになります。。

※ ※ ※

1995年、自宅の窓からマイケルが眺めているのは通りの路面電車。
走る電車の中から一人の少年が、同様にこちらを見つめている。
それは15歳のマイケル自身の姿…場面は1959年へと遷移する。

マイケル少年はその日、気分が悪くなって途中で電車を降り、
通りのアパートの陰で、ひとしきり嘔吐してしまう。
そこへ、電車の車掌を務める女性がやって来て介抱してくれた。
「大丈夫?家まで送るわ」

マイケルは猩紅熱にかかっていた。
数ヶ月後、ようやく体調の回復した彼はその日、
車掌の女性・ハンナへのお礼の花束を持って彼女のアパートへ赴く。

ハンナにはあっさりした、ぶっきらぼうな待遇をされるが、
まだまだ青さ満点の少年の目には着替え中の女性の、
ストッキングを履く太股は刺激的だった。
その場は性への強い関心から容易に視線を逸らすことができない、
「恥ずかしい」自分に気づき慌てて部屋を後にはしたが、
翌日もマイケルの足は、ハンナの住むアパートへと向かっていた。

ハンナはマイケルの来訪にも特別驚く表情を見せることなく、
「石炭を運ぶのを手伝って、坊や」
慣れないことで顔を真っ黒にしながらも仕事をこなした彼に、
ハンナは風呂に入るよう促し…そこでマイケルは初めて性を知る。
二回り以上もの年齢差の二人の関係が始まった。

彼女は、事の前に本を読んで欲しいとマイケルに請う。
彼はそれに応じて、いくつもの詩・小説・漫画までも朗読し、
ハンナもそれらの物語に夢中になり、時には涙すら見せる。
アパートからの帰宅が遅くなれば家族に訝しがられ、
子供扱いする彼女との行き違いから
(あるいはマイケルの「文学的」ロマンチックな行動を、
文盲の彼女が理解しえずに起きる誤解から)口論になるものの、
その後もマイケルとハンナの関係は続いた。

四週間が過ぎた頃、ハンナは上司からその勤勉さを評価され、
今後は事務の仕事を任せたい旨を伝えられる。
表向き嬉しそうにはしたものの、複雑な表情を浮かべるハンナ。

その日はマイケルの誕生日でもあった。
クラスメートの友人、彼に思いを寄せる同級生の女の子、
彼らの誘いを振り切ってアパートへと向かうマイケル。

やって来ると、いつになく苛立ち気味のハンナがいた。
突き放すような態度の彼女に、マイケルの我慢は限界に達する。
「今日は僕の誕生日なんだ!
友達がパーティをしてくれるのを断ってここに来たのに」
「それなら、友達のところへ行きなさいよ」
打ちひしがれた彼は、やり場のない思いを抱えてアパートを出る。

マイケルが再びアパートへ赴いた時、
部屋はすっかり片づけられ、ハンナの姿はなかった…。
ひと夏の終わり…ストーリーは続く。

※ ※ ※

ケイト・ウィンスレットの演技は凄かったです。
ハンナ・シュミッツ役は当初の予定では、
ニコール・キッドマンが演じることになっていたそうですが、
もしニコールが予定通りハンナ役だったら、
ここまで特殊な環境に生きてきた人物を演じきれなかったのでは…
という位に、ケイトはハンナそのものという感じでした。

前半はあらすじの通りの内容なので、とにかくベッドシーンが多い。
といっても、極端に淫らな描写はないので戸惑うことはなかった。
ある意味「即物的な語彙」しか持っていないであろう、
ハンナという女性を描くには必要なシーンとも思いましたが、
裁判以来マイケルが自身の中にずっと背負っている葛藤を経て、
服役中のハンナに意を決して会いに行く場面に至るまでの流れや、
マイケルと両親のどこかぎこちなさが漂いつつも、
そこを離れては彼たりえないと思われる関係の描写など、
後半をもう少ししつこくして欲しかった気もしなくもないです…が、
テーマはあくまでも一貫したものがあり、まとまった印象です。

マイケルの10代半ば〜20代前半を演じたデヴィッド・クロスは、
初々しさと育ちの良さを感じさせる、これから期待の俳優でした。
彼のインタビューの一部を引用します。
ヌードに抵抗は?という質問には「もちろんあったよ!」と初々しい答えが返ってきた。
「最初はすごく緊張しちゃって。でもケイトやみんなが僕が大丈夫なように助けてくれたんだ。監督の演出もやりやすかったしね」(メトロポリターナ 6月号より)
ドイツという国においてはどれだけ時間が経過しても、
ナチス・ドイツ下での非人道的行為は訴追されるとのことで、
如何に当時の出来事がドイツとユダヤ人のみならず、
世界にとって重いものかを改めて知らされる映画でもありました。
また、「ひとの良心」という矛盾の起こるものをどう問うのか?
という非常に複雑なメッセージも込められていたと思います。

マイケルの性格にはハンナとの関係が常に影を落としていて、
関係への後ろめたさと彼女への愛の、ふたつの感情が渦巻いている。
ありふれた恋愛ものであれば予定調和的に、
裁判を傍聴したマイケルはすぐハンナと面会…となるかもですが、
そうはならず、代わりにハンナへの想いをどう伝えるかというと、
自身が本を朗読した声を収めたテープを送ることで表現する。

ハンナはそれに応えようとし、文字を覚え始める。
しかし、マイケルはハンナの手紙に手紙では応えない。
個人的な解釈としては、その時点ではハンナの文章力が、
「自分の言葉」で書ける段階になかったからだと思いました。

40を過ぎ、人の親になったマイケルと老女のハンナが再会する場面。
マイケルとハンナの表情の差異が印象的です。
ハンナの内面は、物語がマイケルの視線のみから語られる以上、
曖昧な部分が多いが、本を台にして自ら命を絶つ…というのは、
果たしてマイケルと再会する前から決めていたのか、
それとも彼が「出所は賑やかにしたい?それとも静かに?」
と尋ねた時、「静かに。…静かに」と答える直前だったのかは、
自分にはなかなか判断ができませんでした。

夜間の上映時間だったので劇場内の席の埋まり具合は程ほどで、
年齢層は中高年の方が多めでした。
近くにいたオバハンの一人がコソコソくっちゃべっているのは、
どうにも鬱陶しかったですが…ストーリーも佳境に入ると、
そんなのも気にならないくらいスクリーンにはまり込めました。

それにしても…これまでケイト・ウィンスレットの名前を見ると、
どうしてもまず「タイタニック」のイメージがあって、
その中においても彼女の演技力とかは殆ど意識しなかった。
しかし、繰り返しになりますが、
本作の彼女の演技は本当に存在感があって良かった。
アカデミー主演女優賞受賞も納得という感じです。

「タイタニック」以来のディカプリオとの共演作でもあった、
「レボリューショナリー・ロード」も重い話ではあるが、
機会があれば是非DVDの方で観ておきたいところです。


【公式】「愛を読むひと」公式ウェブサイト
【参考】愛を読むひと


posted by garni at 02:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画/ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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