2009年07月01日

万年青(まんねんあお)

雑誌「COM」の昭和46年3月号に掲載された「万年青」
(表題では敢えて「おもと」を「まんねんあお」と読んでいる)は、
この「ブラックユーモア短篇集」において異彩を放っている、
20ページほどのささやかなビルドゥングスロマンです。

清一君は、まだ高校三年生という若さながら、
万年青に関してはかなりの「目」を持った、
いわば「万年青オタク」と呼んで差し支えない青年。
その情熱や造詣の深さは、漫画の冒頭から早くも描かれている。

注:以下、ネタバレを含んだストーリーのあらすじです。

万年青が趣味の近所の老人・五呂田の家の庭先で、
その説明を聞くともなしにずらりと並んだ鉢を眺めていた清一は、
ピタと目をとめ、一つの万年青を持ち上げる。
「お おじさんの じ じまんの
のは……こ これでしょ………」
─ど どうして…………わかった!?
「この万年青は長くて十日」との清一の言葉に、
一度は激怒して怒鳴り声を上げたものの、
彼の言う通りにその万年青は枯れ、五呂田は感心させられる。

家に帰った清一は、息子の趣味を理解しようとしない父親の、
「万年青を処分しちまえ」という言葉を盗み聞きし、
五呂田に鉢を預けることにした。

清一の預けた万年青は、いずれも葉がピンと一直線になっていて、
五呂田にすれば「芸がない感じ」であったが、
その理由について清一は力を込めてこの老人に説明する。
「ぼ ぼくがつくりたいのは は 葉があくまで
い い 一直線で す すこしのまがりのない お 万年青です!」
「い 一直線にのびた こ 紺地の葉の……ま まん中に
スーッと こ これも 一筋のまっ白な縞がながれる!!」
「そ そしてその……い い 一直線の葉が あ あ あ
朝日の光のように は は 八方にひろがる……
そ そんな お 万年青を つ つくりたいんです!!」
「も もし ぼくの夢の万年青ができたら……ぼくはそれに……
せ せ 「青春光」と名づけるつもりです!」
万年青の葉は、ある時期まではまっすぐに伸びているが、
成長すると腰折れたり縞が乱れてしまうのだという。

最後にただ一つ、まだまっすぐな葉を持った万年青が残った。
五呂田の好意で、五竜の古鉢を貸してもらう清一。

ところが、清一がいない折に五呂田の家へやって来た、
万年青仲間の老人が清一の「青春光」を目にしてこう言う。
「これはコンクールにだしたら評判よびますぜ」
その言葉に五呂田の良心はあっさり屈し、万年青の鉢をすり替える。

五呂田の猿芝居に騙されて落胆するかにみえた清一だが、
「おじさん ほ ほんとうは こ これで
サッパリしたんです」
「ぼ ぼく 今 高校三年なのです そろそろ
お 万年青も卒業して 受験勉強に せ せ
専念しなきゃと思ってたんですよ!」
「こ これで お 万年青は卒業です!」
「さ さよなら……おじさん また ときどき遊びにきますよ!」
今や目先の欲しか頭にない五呂田は喜ぶが、
すり替えた鉢を覗いて愕然とする…万年青の葉は既に腰折れ、
その縞は乱れ放題の哀れな姿になっていた。

五呂田の家を出て、通りを走る清一の後ろ姿。
そこには一際大きな太陽が彼を照らしていた。

※ ※ ※

ちょっと珍しい描き方だなあと思ったのは、清一と両親の関係。
ここでは、彼の趣味に対して父親はまるで理解を示しておらず、
むしろ母親の方が協力的であり、擁護もしている部分で、
例えば「ドラえもん」における野比家の親子関係を考えてみると、
両親の反応がまったく正反対なのが印象に残ります。

また、この「万年青」を改めて読み返していて思い出したのは、
今、たまたま読んでいる「サブカルチャー文学論」の中で、
著者である大塚英志氏が人間の成長過程における、
「移行対象」というのをテーマとして批評した作品の一つ、
山田詠美「ベッドタイム・アイズ」についての考察部分です。

「ベッドタイム・アイズ」のスプーンにとっての「銀の匙」、
これは「ライナスの毛布」として物語の鍵となっているが、
「万年青」は主人公・清一にとっての、
「ライナスの毛布」なのではないか?と思いました。
その視点でみてみると、母親が万年青のことには疎いながらも、
一方で息子の万年青への愛情を尊重するような描写には、
色々考えさせられるところがあります。

「青春光」が清一の手を離れて「五呂田のもの」になった時点で、
その葉はしおれてクルクルになってしまいます。
清一の元にあってこその「青春光」であって、
五呂田からすればコンクールで得られるであろう評価だけの価値、
物質的な「卑しい」価値に成り下がった万年青です。

寓話的であり、清一にとっての「青春光」の価値と、
五呂田にとってのそれの大きな違いが生み出した効果として、
とても心に残るものがありますが、それでも最後のコマは、
これ以上ないほど輝ける未来を思わせる清一の背中があります。

清一の「ほ ほんとうは こ これでサッパリしたんです」
と話す場面は、非常に重要なところではないかと思います。
あれだけ情熱を注いだ割に随分あっさりしてるなとも感じますが、
ずっと自身と重ね合わせていた「青春光」は、
実は自分そのものではない、と半ば強制的にではあるが悟った、
という風に捉えられるかも知れません。

最後に、これはあくまで個人的な解釈ではありますが…。
「万年青」を右から読んでみると…まず「青年」という単語。
続いて「万」の字があります。

「万」を『よろず』、言い換えれば『すべて』と捉えると、
つまりは「青年のすべて」という意味合いになる。
勝手な思いこみながらそんな風に考えると、
本作を読み終えた時、妙に納得してしまうのです。


【参考】万年青 (植物)


posted by garni at 02:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画/アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。