2009年07月14日

スプートニクの恋人

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スプートニクの恋人 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社 2001-04

by G-Tools , 2009/07/14

ライカ犬に言及されると、ついラッセ・ハルストレムの映画、
『ライフ・アズ・ア・ドッグ』を思い浮かべてしまいます。
「意志に関係なく異世界に投げ出された者」のアレゴリーとして、
孤独に死んでいったライカ犬のイメージはどの国であっても、
きっと誰もが共通した感情を抱いているような気がします。

『スプートニクの恋人』で描かれるのは、
「僕」とレズビアンの女性との不思議な関係、
そしてギリシャでの奇妙な事件…ちなみにキャッチコピーには、
「この世のものとは思えないラブ・ストーリー!」
と書いてあるけれど、実際に小説を読む前と後では、
だいぶこのフレーズから受ける印象は変わってくる。

ここでも不可思議な精神世界と現実の入り交じった、
村上春樹の作品に特有の物語が展開されていて、
実際の出来事と主人公およびそれ以外の人物の妄想との境界線は、
やはり曖昧な中に漂ってはいるものの、
どうやら「ギリシャ」で線は引かれているように思う。

『ねじまき鳥クロニクル』より後の春樹作品、
言い換えると、村上春樹がオウム事件をふまえて、
社会への「コミット」を宣言してからの小説は、
どこかそれ以前の彼の作品よりも読みやすく感じられる。

'80年代の村上春樹の小説の人物には、
どうも読んでいて苛々させられるところがあった。
今になって改めて読み返そうと思えるのは、
『パン屋再襲撃』くらいで、後の殆どはもういいよ…、
という感じだったけれど、その一番の原因は、
やはり主人公たる「僕」の態度にあって、
とにかくその責任回避の巧さに感情移入できず、
それでもストーリーに引き込まれることで不快感を忘れ、
いつの間にか没入しているというのが自分のパターンだった。

本作においても登場人物の誰もが何らかの「主張」をしているが、
それらがぶつかり合うような展開にはまずならない。
では彼らの相互の結びつきも弱いのだろうか…というと、
ただそれは生きる場所の「交わらなさ」の所為で、
個々の人間関係が希薄というのとは少し違う感じがする。

ただ、『スプートニク〜』での「僕」は決心のもとに独白する。
そこに納得できるものがあったので、新鮮さがあった。
後に『神の子どもたちはみな踊る』のラストを飾る、
「蜂蜜パイ」での淳平の「語り」にもスムーズにつながっていく。
主人公がやっと読者の方を向いてくれたような、
それまでと異なるカタルシスがあったのを覚えている。
「(前略)さて、場所はどこだろう?今はちょっとわからない。すべてはあまりに記号的だし、それにあなたもよく知ってるでしょう?わたしは場所のことってほんとに苦手なのよ。口でうまく説明できないの。だからいつもタクシーの運転手に叱られるのよ。『あんた、いったいどこに行きたいんだよ?』って。でもそんなに遠くじゃないと思うな。たぶんけっこう近くだと思う」
「迎えに行くよ」
春樹作品から強い意志のようなものを受け取ったのは、
『アンダーグラウンド』辺りからだったと思うけれど、
それがよりはっきりと感じられた『スプートニクの恋人』は、
なかなか忘れられない作品のひとつだったりします。
posted by garni at 22:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 差異 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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