2008年03月04日

オバマ氏&小浜市

Yahoo! - 報知 [3月4日8時1分] オバマ氏に熱烈な応援届いた…福井・小浜市を「ナイスタウン」 米大統領選の民主党候補指名争いで、バラク・オバマ上院議員(46)が、同氏に乗っかり町おこしをしている福井県小浜市について「ナイス タウン」とコメントしたことをテレビ朝日が報道し、同氏の発言を聞いた小浜市長が3日、喜びの声を上げた。オバマ氏は2日、遊説先のオハイオ州で、報道陣に小浜市を知っているかを聞かれ「Yes nice town」と回答。その様子をニュースで知った同市の村上利夫市長(75)は「『ナイスタウン』はゴロもよい。うれしいです」と話した。小浜市によると、小浜市とオバマ氏は2006年12月、来日したオバマ氏に税関職員が「私は小浜市出身です」と話しかけ、オバマ氏が「私は小浜から来ました」とジョークで返したことがきっかけ。以来、返信はないものの手紙や大統領選に向けた必勝ダルマを贈るなど一方的にアプローチを続けてきた。


さて、先月のことですが、
いよいよ大詰めに入ったNHKの朝ドラ「ちりとてちん」に出演中の
松重豊さんのブログにて、
小浜市がオバマ氏に地元の伝統工芸品である塗り箸を贈ったらしい、
という話があったのを偶然見かけまして。

シャレでもつながりがあったら面白いなとは思ってたけど、
本当にやり取りしてるとはなかなか粋なことを…と笑ってたら、
またまたニュースになってますね。

それにしてもオバマさん、来日してたとは全然知らなかった。
しかも2006年12月末といったらまだ立候補したかしないか、
メディアの露出もあまりなかったような時期だし…。
てっきり交流(というか一方的なラブコールか)が始まったのは、
いよいよ盛り上がり始めたここ数ヶ月の話かと思ってました。

現状を見る限りヒラリーもヤケ気味盛り返してきてるし、
オバマ氏の勢いもまだまだ続くような気がするけれど、
うーん…どうなるのか?

村上氏によると現在、小浜市では米大統領選の話題で持ちきり。「オバマまんじゅう」「オバマハンバーグ」など便乗食品も登場。「スーパーチューズデー2」とも呼ばれる3月4日の予備選では、同市内でパブリックビューイングが行われる。今回の“お墨付き発言”で「市民の熱がさらに上がるでしょう」と村上氏は話す。

ちなみに、このくだりを読んで「こち亀」の両さんを思い出した。


【参考】バラック・オバマ - Wikipedia (ja)
【参考】2008年アメリカ合衆国大統領選挙 - Wikipedia (ja)
by garni at 12:13 | CM(5) | TB(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月08日

裸祭りポスター

Yahoo! - 毎日 [1月8日 2時32分] <裸祭りポスター>JR東が「待った」…女性が不快感 岩手県奥州市の黒石(こくせき)寺で繰り広げられる伝統行事、蘇民祭(そみんさい)の観光ポスターを市が駅構内に掲示しようとしたところ、JR東日本から待ったがかかった。「男性の裸に不快感を覚える客が多い」というのが理由だ。数十年作製しているポスターの掲示拒否は初めてで、市は枚数を200枚減らして1400枚とし、駅で張れない分は市内や首都圏で張るという。


何が問題なのか気になったので、ポスターを確認した(写真)。

…すいません、構図に思わず吹いてしまった。
だってこれはあまりにも…いや、言葉を選ばないと…とにかく、
男性の裸に不快感を覚える云々は建前じゃないのかな、
という感じがしたものの、確かに何か…うーん。
正直、不気味なアングルだよな…でも笑ってしまうなあ。

先ほど報ステでもこのニュースが取り上げられていて、
左下にアップで写ってる男性が電話インタビューで
「ヒゲとか胸毛がセクハラだって批判もありますけど、
自分は両親のくれたこの体に感謝してます!」と憤っていた。
また、市の担当の人は「確かに…これまでのと比べて、
今年のはインパクトが強いという気は…」とおずおず語っていた。

こうしてみると、セクハラだの…という、
妙に遠回しな表現が却って話をこじれさせてるような気がする。
個人的には不快というより…なんというか、
裸祭りというテーマや、モデルの男性のせいではなくて…、
このポスターに限ってのNGなのは確かだから…。

ぶっちゃけ、なんだかホモビデオのジャケみたいなデザインだと…。
というか、それが真のダメな理由じゃないのかってことだろうと。

ちなみに蘇民祭は複数存在し、
全裸が許されるのは黒石寺の蘇民祭のみだったが、
2006年以降は全裸禁止になった…とWikipediaにあった。

まあ、結局は主観の問題かもしれないけど、
やっぱりこの構成がどうもそれっぽく見えるのは、
自分が多田野スレをつい眺めてしまっているせいなのだろうか…。


1/10追記:
Yahoo! - 毎日 [1月10日 20時2分] <雑記帳>JR東が拒否した「胸毛ポスター」に人気 岩手 「胸毛がセクハラ」とJR東日本が掲示を拒否した岩手県奥州市の黒石寺蘇民祭(こくせきじそみんさい)のポスターの人気が急上昇。報道を受けて市に注文が殺到し、市職員は発送作業に追われている。


今回の騒ぎは逆に良いPRになったようです。
これは、JRが危惧するような「不快感」を覚える人なんて、
実際はずっと少なかったって事ですかね…しかし何度見ても笑う…。
なお、趣味的な申し出はお断りする、とのこと。


【参考】裸祭り - Wikipedia (ja)
by garni at 23:49 | CM(2) | TB(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月09日

核廃絶への祈り

Yahoo! - 読売 [8月9日14時46分] 長崎、61回目原爆忌…「廃絶」誓い核拡散に警鐘 伊藤一長市長は長崎平和宣言で、核保有国の核軍縮が進まない現状に対する怒りといらだちを強調し、「2006年を再出発の年とすることを決意し、恒久平和の実現に力を尽くす」と、核兵器廃絶への取り組みを強める考えを表明した。式典は午前10時40分、高校生が打ち鳴らす「長崎の鐘」を合図に始まった。この1年間に亡くなったり新たに死亡が確認されたりした2831人の死没者名簿3冊が、平和祈念像前の奉安箱に納められた。これで名簿の累計は14万144人となった。


…今なお核の脅威の中に世界は存在していて、
61年経った現在でも、後遺症が遺伝子に刻み込まれている人達が
沢山いるのだ、という話を、ある方のところで読ませてもらった。

先日、「報道ステーション」の中の特集で、
90歳になる山口彊さんというおじいさんの話が放送されていた。
山口さんは広島、そして長崎と、
二度の原爆を体験された方だ(cineaste.jp)。

8月6日、出張先の広島で被爆した。
「その瞬間、自分は死んだと思った」と山口さん。
その夜、街中が燃えていた。自身も半身に大火傷を負ったという。

夜が明け、山口さんは太田川の傍にいた。
そこで見たのは…おびただしい数の犠牲者の人たちが
川の向こう岸まで、筏のように連なった光景。
嗚咽しながら、当時のその光景を語る山口さんがそこにいた。

「何としても家族のいるところに帰ろう」
その必死の思いで、重傷を負いつつも
適切な治療を受けられたこともあり
山口さんは数日後に長崎へ帰れたそうだ。

長崎へ戻った8月9日。
山口さんの上司は広島の状況を聞き入れず、
「街をそれだけ破壊するのに、
一体どれだけのエネルギーが必要だか分かるだろう」
とはねつけたという。

まさにその時、二度目の原子爆弾が投下された…

聞き手の松岡修造が
「山口さんにとって、平和って何ですか」と問うと
山口さんは、「平和っていうのは結局…
"One For All, All For One"なんじゃないかと。
これはデモクラシーの言葉なんですが、
平和にも通じるんじゃないかと思うのです」と答えていた。


番組を観ていて僕は宮沢賢治の
「農民芸術概論」の中の一節を思い出した(aozora.gr.jp)。

"─おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験と
われらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
これに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である"



【関連記事】遠い日の幻影

【関連ニュース1】asahi.com [8月4日] なぜ原爆は2度落とされたのか 「二重被爆」国連で上映 短歌をたしなむ山口さんが、広島の太田川を埋めて流れる遺体を「人間筏(いかだ)」と表現した同名の短歌集の作品などが、英語の字幕で紹介された。映画の中で、二重被爆を知ったフランスの学生が「ヒロシマ、ナガサキは一つの出来事ととらえてきたが、二重被爆はなぜ2度目の原爆が必要だったかを考えさせる」と話す。 山口さんは今回、初めて旅券を手にして訪米したという。「ここで死んでもいいと決意して来た」と話した。

【関連ニュース2】中国新聞 [7月29日] 二重被爆を語り継ごう 広島経済大で映画上映 広島、長崎両市で被爆した人の証言などをまとめたドキュメンタリー映画「二重被爆」の上映会が二十八日夜、広島市安佐南区の広島経済大であった。被爆地広島での上映は初めて。映画の出演者で安佐南区の二重被爆者賀谷美佐子さん(76)や学生ら約三十人が鑑賞した。六十分間の映画は東京の制作会社が六月に作った。「広島からキノコ雲が追ってきた」「二重被爆を語り継ぐために生かされた」…。二度の惨状を体験した八人の二重被爆者(一人は死亡)が証言する。その映像を見た核保有国の米国やフランス、中国などの学生、市民の声も紹介している。

【参考】Wikipedia 長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)では、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分に、アメリカ軍が日本の長崎市に対して投下した原子爆弾に関する記述を行う。これは実戦で使われた二発目の核兵器である。(現時点では実戦で使われた核兵器は広島・長崎の二発である)この一発の兵器により当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万8千人が死傷、建物の約36%が全焼または全半壊した。敗北寸前の日本に対しての原子爆弾投下はほぼ戦略上無意味であり、核の威力を実験した意味合いが強い。また、北海道へ進出したソ連に対抗する為とも言われ(当時、アメリカは既に仮想敵国としてソ連を想定していたといわれる)。このような諸説が入り混じり、正確な理由は分かっていない。
by garni at 16:08 | CM(4) | TB(3) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする